教授の趣味でSM理論について勉強させられた結果

谷崎潤一郎の『痴人の愛』を読んで、映画を観るという授業を受けたことがある。

痴人の愛』を読んだのはこれが初めてだったけど、こんなに面白い話だとは思わなかった。とにかくナオミが腹立つ!そして腹を立てれば立てるほど、譲治と一緒にこっちまで面白いくらいナオミに翻弄された。しかも、ナオミの手が分かっていて、次こそは引っ掛かるまい……としているのに、最終的にコロッとやられちゃう展開の繰り返しではあるんだけど、それまでの焦らしがすごくて、ジェットコースターに乗せられている感じがした。谷崎がこんなにストリーテラーだったのを知らなかったなんて、日文科失格だと痛感しました。

映画の方は増村保造監督のもので、『痴人の愛』は3回映画化されているらしいけれど、この作品は唯一、譲治がオッサンのやつだ。そのオッサンがなぜか半裸でいるシーンが多くて、気持ち悪い。(多分それもわざと)スカッとするアクションシーン?も多くて、全体的にコメディタッチで、(なんと、浜田という大学生の脇役として、若い頃の田村正和が出演していた!びっくり!)一緒に受けていた友達と「痴人の愛で一番クズなのは誰か?」「譲治と結婚して一生をともにできるか?」というくだらない議論で毎回盛り上がったのは本当にいい思い出です。

 そして、授業では、『痴人の愛』を読み解くための背景として、恋愛結婚とお見合い結婚の変遷、性の二重規範ピグマリオン・コンプレックス、そして、サドマゾ理論についても勉強することになった。

特に、サドマゾ理論についての講義は気合いが入っていて、フロイトのサドマゾカップル論とドゥルーズのサドマゾ非カップル論の概要が教授お手製の5枚にもおよぶレジュメに詳しくまとめられていた。レジュメは素人が読んでも相当分かりやすくまとまっていて、「ありがとう教授……!この後の人生で役に立つか分からないけど!」と私も興奮、もとい感動した。レジュメにはご丁寧に「試しに自分がサドとマゾのどちらの傾向にあるのか、この機会に考えてみるのがよいだろう」という言葉まで書かれていた。教授よ、これは確信犯だな。

当然、このレジュメに書かれている心理は、一般的な意味で使われているカジュアルなSとMとは、だいぶ違う。このことは、性描写のある本が単純にエロい本であるかというと、そうでもないということに似ているような気がする。じゃあ、官能小説のSMプレイ描写よりも、サドマゾの概念について遥かにつかんでいる気がする小説は、どんな小説か?とりあえず、思いついた2冊を紹介したい。

小川洋子 『ホテル・アイリス』『博士の愛した数式』がメジャーな小川洋子作品だとしたら、これは小川洋子作品のなかでも、マイナー中のマイナーだとも言える。正直、同じ作者が書いたとは思えないし、本屋で2冊が隣り合って売られていたら悪趣味すぎてゲラゲラ笑ってしまう。

ホテル従業員の娘である17歳のマリが、ホテルで初老の男性に出会ったとき、まず彼女の印象に残ったのは、男の声だった。暴力や権力を使うことなく、それでいて有無を言わさず命令に従わせるような声。そして後にマリは、この声に直接導かれることになる。周りのものすべてが鄙びたように感じるリゾート地と、歪んだ太陽とうだるような暑さ。そして、下品で意地の悪い母親や手伝いのおばさん。うんざりするような日常のなかには、男と少女の居場所がないように感じられる。二人が町でデートをするシーンは特に痛々しい。小川洋子の静謐な文章で書かれるSM描写は、より醜く、より美しい。


菊地成孔 『あたしを溺れさせて。そして溺れ死ぬあたしを見ていて』はああああもう題名からしてアウト!作者の名前の文字面だけでもアウト!っていうのは冗談で、

正直、マニアックだし、めちゃくちゃ苦しそうだなという印象。「タンザニアと韓国と日本のトリプル」の僕は、「水の中で女の子が溺れて苦しんでいる様子を観る」と興奮する“溺死フェチ”で、溺れ苦しむ女の子を祈るような気持ちで見つめて、苦しいくらい感情移入して興奮している。(フロイト的なサドマゾですね)

今読み返してみたら、記憶以上に酷くて、本当にこれを紹介していいのだろうか?と鬱になるレベル。まず、開始3行で女の子がバスタブに沈められていて、その後はこれでもかってくらいその苦しさが客観的に説明されている。

蓮見重彦の『伯爵夫人』を念頭にして書かれたというだけあって、読むに堪えないようなハードな性描写が続いて、自然と顔をしかめてしまう。でも、本自体に罪はないし、一度読んでしまった以上、私の記憶からなかったことにはできない。

ちなみに、この本は「ヴァイナル文學選書」の第一弾で、新宿でしか手に入らない。形も特殊で、綴じられていない紙の束がそのまんまビニールに入って売られていて、なんだか新鮮な感じがする。

そして、新宿のディスクユニオンでこれを買った帰りに、「何買ったんですか?」とナンパに声を掛けられたけど、いろんな意味で怖くてダッシュで逃げた、という思い出がある。

2冊とも、「耽美……」ってうっとりするというよりは、むしろ思わず読むのをやめたくなるくらいのギリギリの不快さが続く。


以前、セックスと自分の変態性を開示する行為って、隣接はしているけど、実は全く違うものなんじゃないかっていう話を友達にしたことがあって(そして、やっぱりドン引きされて)、さらにそこから突き詰めていくと、

「変態」っていうのは、そう罵って興奮している相手の頭のなかの貧しい「変態」観を忠実になぞるプレイをするんじゃなくて、むしろ相手が全くそれに興奮できない理解不能な領域からくる行動なのではないだろうか?

ふう……教授のサドマゾ普及の熱意に乗せられて、ついにこんな所まで来てしまった……あのレジュメから、これだけ真面目に考えた学生は他にはいないはずです!!教授、ぜひ、私に「100点」をください!!!

【付記】SM理論が「教授の趣味」だというのは、あくまでも冗談で、実際に授業で『痴人の愛』を読むのに他のトピックと同等に役に立ちました。また、以前読んだ、倉橋由美子の『聖少女』の読解にSM理論を援用し、マゾヒストの快楽が家父長制とエディプス・コンプレックスを解体する可能性を指摘した論文は、とても面白かったです。サドマゾに幼稚な反応を示す私の文章に対して、教授とサドマゾに対する侮辱だと不快に思われた方は申し訳ありませんでした。